なぜ日記をつけると落ちつくのか by 鎌塚 亮
日記は紙のノートにつけています。日記をつけるのは、デジタルよりもアナログの方がしっくりくるというのが、経験からくる実感です。日記は知的な活動というより、身体的な活動のようにおもいます。身体的な痕跡といったほうがよいでしょうか。
へぇ、おもしろい感覚。ぼくは鉛筆を握っているときより QWERTY 配列のキーボードを叩いているときの方が身体性を感じているかもしれないな、と思った。触れている時間の長さに由来するのかな。 「私」が消える、それは死ぬことに似ています。日記は、私が本当に死んだあと、遺書の役割を果たすかもしれません。そう考えてみると、日記をつけることは、様々な文脈で「死を想う」こととつながっていたようです。
今のところぼくは「健康に感謝」という感じだけれども、たとえば事故やら病気やらそういった要因で「死」を身近に感じるようになったら、日記にどんなことを書くようになるんだろうなあ。